世界に広く受け入れられている日本の「ZEN(禅)」の思想。大企業の成功者やトップアスリートたちが取り入れているマインドフルネスの由来ともいわれている。しかし、禅とは本来どんなものなのかを理解している人はそう多くない。ここでは禅の歴史や教えの意味について解説する。
ZEN(禅)とは
禅とは「心が動揺することがなくなった状態」を意味する古代サンスクリット語の「ディヤーナ(dhyana)」を漢字に音訳した「禅那(ぜんな)」の略とされている。禅那の行を座して行う修行を座禅という。
宗教としての禅宗は、インドから中国に渡った仏教僧、達磨(だるま)大師から始まった。仏教の開祖である釈迦(ブッダ)が菩提樹の下で悟りを開いたのは今から約2500年前のこと。達磨大師は釈迦の28代目の弟子にあたる。達磨大師が中国の少林寺で9年もの間壁に向かって座禅を組み、悟りを開いたとされる「面壁九年」の逸話は有名だ。
達磨大師が伝えた禅の教えを端的に表す言葉として「不立文字(ふりゅうもんじ)」がある。これは、仏教における悟りは経典や文字に頼るものではなく、師匠の心から弟子の心へ直接伝わるものだという意味。達磨大師は座禅修行を通して、釈迦の悟りを追体験した。
つまり禅とは心で理解するもの。あらゆる雑念を捨て去って「今ここ」に精神を集中することで真理を悟り、自分の内なる仏に気づくことをめざす。
日本におけるZEN(禅)の歩み
禅宗が日本に伝えられたのは、鎌倉時代初期のこと。その礎を築いたのが、当時の中国である宋に渡って修行を積んだ栄西(えいさい)と道元(どうげん)である。
栄西は二度の入宋を経て、日本初の本格的な禅宗である臨済宗を開いた。それから30数年後に曹洞宗を開いたのが道元だ。どちらも禅の流れを汲む宗派であるが、修業観が大きく異なる。臨済宗が「公案」と呼ばれる師弟の問答を通じて悟りの道をめざしたのに対し、曹洞宗はただひたすら座禅に徹する「只管打坐(しかんたざ)」を重視した。
さらに江戸時代になると、中国から来日した高僧・隠元が、念仏を唱えて座禅を組む黄檗(おうばく)宗を興した。日本における禅宗は、臨済宗、曹洞宗、黄檗宗の3つに大別される。
これら禅の思想は、武家から天皇家、公家、一般民衆にまで広がり、茶道や華道、能楽、絵画、詩歌といった日本の伝統文化に大きな影響を与えた。日本人の心に宿る「わびさび」の美意識は、禅の教えから発展した考え方とされている。
道元が開いたZEN(禅)の里「永平寺」
禅寺の代名詞と言えるのが、福井県にある曹洞宗の大本山、永平寺だ。今から約770年前の寛元2年(1244年)、道元が坐禅修行の道場として創建した。1年中多くの参拝客が訪れ、2015年にフランスの旅行ガイド本「ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン」で2つ星を獲得するなど、国内外から注目を集めている。
永平寺が一般的な観光地の寺院と一線を画すのは、750年前に道元によって定められた作法に従って、今も150人近い「雲水」と呼ばれる修行僧たちが厳しい禅修行を営んでいるところだ。ただ座禅に励めばいいわけではなく、朝の洗顔から食事の作法、廊下の歩き方、掃除の仕方まで生活の所作が事細かに定められ、日常そのものが修行として考えられている。境内に一歩足を踏み入れるだけで、凛とした禅の世界を体感できるだろう。
永平寺では、一般の参拝客を対象とした修行体験も行っている。もし禅の世界に興味があれば一度訪れてみてはいかがだろうか。
禅とは、何事にも囚われない自由な心を表す言葉である。それは自己の探求であり、真理の探究だ。中国から日本に持ち込まれた禅の思想は独自に発展を遂げ、日本文化の形成・成熟に深い影響を与えた。禅を理解することは、日本文化をより深く理解することにつながるだろう。