マーシャルアーツとは、東洋の格闘技全般を指す言葉だ。中国の太極拳、韓国のテコンドー、タイのムエタイなど、ほとんどの民族が独自のマーシャルアーツを持っているが、世界的に最も広く知られているのは日本の武道(BUDO)である。
ここでは独自に発展を遂げてきた日本のマーシャルアーツについて紐解いていこう。
日本のマーシャルアーツ
日本の武道という言葉は、江戸時代の武士道に由来する。武士道とは「武士として生きる道」、すなわちサムライスピリットのことだ。
中世から近世にかけての日本において、武士は最も身分が高く、国家を統治する重要な役割を担っていた。彼らが戦場で戦うために身につけなければならないとされていたのが武道である。
このように、武道はもともと生死をかけた戦いの場で必要とされた技能だったが、戦争のない平和な江戸時代になると武士のたしなみの一つとして体系化された。
もはや武道・武術を戦闘に使用する者はいないが、体を鍛えるのはもちろん、精神修練や頼もしい護身術として幅広い世代に受け入れられている。
日本のマーシャルアーツとスポーツの違い
日本のマーシャルアーツには、柔道、空手道、剣道、弓道などがあり、いずれも「道」という言葉が使われている。道とはプロセスのこと。さらにいえば、人生そのものなのだ。
日本の武道には「心・技・体」という教えがある。ただ単に身体的・技術的な面を磨くだけではなく、精神性を磨き、道徳心を高めて、礼節を重んじる心を養うことを大切にしている。
江戸時代、武士には大小の刀を身につけ、無礼におよんだ庶民を斬り捨てても処罰されないという特権があった。
いわば殺人の特権だが、もちろんむやみやたらに人を斬るわけにはいかない。武士に自分を律する高い精神性が求められたのは当然のことである。彼らは肉体と精神を修練するために武士道に勤しみ、そのマインドが武道へ受け継がれたのである。
つまり武道とは、スポーツのように勝ち負けだけにこだわらず、人格形成をめざすものなのだ。もちろん柔道のように競技化したものもあるが、その根底に流れる「道」の精神は変わりがない。
日本の伝統的なマーシャルアーツ
ここからは、日本の主なマーシャルアーツの種類とそれぞれの特徴をご紹介しよう。
空手道
琉球王国時代の沖縄で発祥した空手は、世界的に有名な武道だ。今や1億3000万人の愛好者がいるという。
琉球王国では武器を持つことが禁じられていたため、素手で戦う「手(ティー)」という武術が誕生した。そこに中国拳法の要素を加えたものが空手のルーツとされている。最初は「唐手(Chinese hand)」と呼ばれていたが、のちに武器を持たずに戦うことを意味する「空手(empty hand)」に呼称が変わった。
伝統的な空手から総合格闘技のようなものまで、さまざまな流派に分かれており、それぞれの理念、技、形(型)を持つのが特徴だ。
合気道
1920年代に植芝盛平によって創設された近代武道だ。他の武道に比べて精神性が重んじられ、日々の稽古の中で謙虚に自己と向き合い、心身の鍛錬を図ることを目的としている。
合気道はその名が表すように「気」を重視するのが特徴だ。合気道は相手の力を利用することで、相手を制する武術である。そのためには、相手の気を読み、合わせていく。つまり、相手の力に自分の力を合わせることが必要だ。
また、合気道は勝負を競うことがないので、試合という概念がない。日頃の稽古の成果を披露する場として、試合の代わりに演武会を開催している。
剣道
剣道は日本古来の剣術を競技化したものだ。日本のフェンシングといえば、イメージしやすいかもしれない。かつて殺し合いの技術だった剣術が、江戸時代に技術の習得や心の修練を目的とした剣術へ変化し、現代の剣道へと変化を遂げていった。
剣道の試合は、2人の対戦者が頭、胸、腕に防具を着用し、竹刀と呼ばれる竹の剣を使って行います。その姿は、鎧を身につけ、日本刀を携えた武士のたたずまいに似ている。
剣道は「礼に始まり礼に終わる」といわれるように、礼節を重んじる武道だ。相手の選手や審判に非礼な言動をする、不正な道具を使うなど、武士道精神に反する行為を行うと反則が取られる。
日本の伝統を引き継ぎ、独自に発展してきたマーシャルアーツ。その根底には、武士道の精神が息づいている。それらは我々に、自分と向き合い、高めることの大切さを教えてくれるものだ。
日本のマーシャルアーツは、ここでご紹介したもの以外にも数多くある。機会があれば、実際に見て触れて体験してみてはいかがだろうか。