日本国内のみならず、海外でも若者を中心に人気を集めている日本の漫画。今や「Manga」は世界で通じる言葉となり、日本を代表する文化の一つに数えられている。この記事では、日本独自の漫画文化がどのように形成されたのか、そのルーツを紐解いていく。
漫画のルーツは平安時代?
日本の漫画のルーツと称されるのが、京都・栂尾の高山寺に伝わる『鳥獣戯画』だ。日本絵画史の一大傑作として知られ、国宝に認定されている。
多くの謎に包まれたミステリアスな作品で、今から約800年前の平安時代末期に、戯画の名手であった高僧、鳥羽僧正覚猷(とばそうじょうかくゆう)が制作したと考えられているが確証はない。
『鳥獣戯画』の中では、動物たちが擬人化されて登場し、表情豊かに描かれている。その名を聞いたことがなくても、カエルとウサギが相撲をとったり、ウサギとサルが追いかけっこをしたりしている絵といえば、誰もが一度は目にしたことがあるであろう。
この作品が漫画の原点とされるゆえんは、現代の漫画に用いられる技法が『鳥獣戯画』の中でも見られるからだ。たとえば、効果線、吹き出しなどの漫画的表現が使用され、ストーリー展開もある。こうしたことから「日本最古の漫画」と呼ばれている。
ゴッホにも影響を与えた『北斎漫画』
時を経て江戸時代になると、葛飾北斎が登場する。北斎といえば、日本を代表する浮世絵師。世界でも高い評価を得て、ジャポニズム(日本趣味)の流行を引き起こす原動力となった。
北斎が手がけた約3万点を超える作品の中でも、かの有名な『富嶽三十六景』と並ぶ代表作として知られるのが『北斎漫画』だ。北斎漫画は、北斎が絵手本として発行した全15編のスケッチ画集で「大した理由もなく、気の向くまま漫ろ(そぞろ)に描いた絵」という意味で名付けられた。
『北斎漫画』の中には、ユーモラスな動きで踊る人々から、波や風、雨などの自然、妖怪や幽霊といった神話上の存在まで、ありとあらゆる題材が描かれている。北斎漫画に見られる卓越した描写力、大胆な構図や技法は、モネやゴッホ、ゴーギャンなどの世界的な画家たちにも絶大な影響を与えた。
『北斎漫画』にはストーリー漫画の要素はないが、踊りの振り付けをアニメーションのような連続性のあるイラストで描くなど、現代の漫画の要素も多分に含む。それゆえ、漫画の先駆的存在として位置づけられている。
漫画界に革命を起こした手塚治虫
1950年代になると、手塚治虫が漫画界に革命を起こす。大学在学中の1946年に4コマ漫画『マアチャンの日記帳』で漫画家としてデビュー。その後、『ジャングル大帝』『鉄腕アトム』『火の鳥』『ブラックジャック』など、次々とヒット作を生み出した。
映画好きだった彼は、漫画に映画的なコマ割りやカメラワーク、擬音、効果線などを導入する。スピーディーな物語展開やページ構成は読者を驚嘆させ「絵が動いている」「映画を見ているようだ」と評判を呼んだ。
手塚治虫の漫画は、魅力あふれる個性的なキャラクター、想像力あふれる舞台設定と、その設定を生かしたドラマチックなストーリー展開が魅力だ。登場人物たちの喜びや悲しみ、驚き、不安など、心理描写も丁寧に描かれ、成長していく姿も楽しめる。読者は、主人公に共感して感情移入し、好きになって、ドラマに没入していく。こうした漫画スタイルは、当時としては斬新だった。
手塚治虫は「漫画=娯楽」という時代に、悲劇性や思想を初めて持ち込んだ作家でもある。日本において彼は「漫画界の神様」と呼ばれており、現代の日本文化に多大なる影響を与え続けている。
漫画というと低俗な娯楽と眉をひそめる人もいるかもしれない。しかし、大人の鑑賞に耐えうる良作もたくさんある。漫画の世界に一度足を踏み入れてみてはいかがだろうか。